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被災地訪問と零戦、そして「風立ちぬ」・・・。その先で辿り着いたものとは。 [無計画エッセイ]

大変遅くなりましたが、コミケにお越しいただきましたみなさん、とても暑い中をどうもありがとうございました。
今更ながらですいません・・・。
ムサシノ工務店では、今回新刊を用意できずに、ほんとうに申し訳ありませんでした。
次回はぜひ作りますので、またよろしくお願いします。

もうずいぶん日が経ってしまったのですが、ここでは、コミケのあと行ったところや、この夏のことなど書いてみようと思います。
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コミケの参加後、私は一人、茨城・栃木あたりを撮影しながら周っておりました。
(上の写真は茨城県の日立市あたりの海水浴場。たくさんの人出ですね)

そこからさらに海沿いを北上し、福島の被災地まで足を伸ばしてきました。
東日本大震災の被災地に足を踏み入れたのは初めてです。
面白半分で行ったつもりはありませんが、一度見ておかねばならないと思っていたのです。
事前に現地の事情などあまり把握していませんでしたが、海沿いを行けるところまで行こうと考え、帰宅困難地域と呼ばれているところの手前まで行ってきました。



どこからか、全く人の気配の感じられない町となり、その町の途中に突然ゲートが設置されており、ここから先へは入れませんでした。
ほんとはガードレールを超えれば簡単に侵入できますが、この先には福島第一原発があるのです・・・。
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そこは、私が住んでいる近辺の地方都市と大して変わらぬような風景の町で、コンビニやスーパーやガソリンスタンドが立ち並び、そのどれもが無人で夏草が生い茂るばかりでした。
ここは現役のスーパーに見えますが、完全に無人でした。
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一見、普通の町並みに見えても、全く人の気配がありません。
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海沿いの津波がやってきた跡であろう場所は、おおむね草むらになっていました。
そのところどころに廃屋が残っていたり、レールが埋もれていたり、どこからか流されてきた船や自動車が佇んでいたりしました。
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ここで不謹慎なことを申しますが、どうかお許し下さい。
こんな目で被災地を見て、ほんとうにごめんなさい・・・。
でも、ここでは余計なフィルターを取り除いて、正直にありのままを書こうと思います。




この草原の中に一台の車が置かれているのを見つけました。
私はそれを見て、「とても美しい」と思ったのです。




どこからか流されてきたであろう白い車は、その身を休ませ眠りについています。
周りを植物に覆われつつある姿は、人間世界からはどんどんと遠ざかっていくような存在のように思えますが、私は逆に、自然に歓迎されているように見えて、そんな姿に心動かされるのです。

この先何十年もこのままであり続ければ、自然の作用で車体の風化が進み、ボロボロになって土に還るでしょう。
主に地下に眠る鉱物資源が原材料で作られた車は、ゆっくりゆっくり時間をかけて、再び大地の中に戻ってゆくのです。
そんな過程を想うと、何か壮大っであり、また安心するようでもあり、なぜか胸が締め付けられるようでもあり、不思議なのであります。

自然界でもなく人間世界とも違う、どちらにも属さない状態。
そんな「境界」に存在しているものには、言い知れぬ不思議な魅力が存在しています。
私はそれを「美しい」と思っています。
それが「廃」的なものであります。
そんな何かに魅せられて、そんな何かを誰かに伝えたくて、私は写真を撮っています。


しかし結局、この草原の廃車については、私は遠くから1枚写真を撮っただけでその場を離れました。
植物に包まれた廃的なものというのは、私のずっと追いかけているテーマであります。
そんな被写体が目の前にあるというのに、たった一枚だけしか撮りませんでした。
たいして構図も考えずに、レンタカーの車内にから撮ったこの一枚だけが、今の私のせいいっぱいでした。
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もう一人の自分は、目の前のこの光景を撮りたくてしょうがありませんでした。
近寄っていって、光の具合を見て、三脚を立てて、レンズを選んで、じっくりと時間をかけて被写体と向き合って、この物言わぬ車と対峙したいのです。
しかし、この被災地において、創作活動をするということは、私には無理でした。
だけど、ほんとうにモノを作るということは、こういうことではなく、被災地であろうとどこだろうと、自分が撮るべきだ思ったものは、努力をして自分のモノにすべきだと思います。
捨てるべきものを捨ててでも、優先して物事を実行する事ができる才能が、優れた創作物と抜きん出た人物を形作るのだと思います。
少々乱暴な言い方をし過ぎましたが・・・。

しかしそれができなかった私という人間は、このあたりが限界なのです。
私は普段はよく廃墟を撮っていますが、心底廃墟を愛しているのはなく、作品のモチーフの1つとして捉えているに過ぎません。
表現したいことができるのなら、被写体は廃墟でなくて構わない・・・。
そのあたりが被災地にたくさん残っている廃墟や廃車や廃船、いわば被写体だらけの場所を、必ずしも撮らなくてもいいという逃げになっているのかもしれません。


被災地や被害を受けられた方々への想いをコンセプトとして作品にしようとすると、当然全く別の意味あいの作品になります。
そんな写真が私に撮れたら、作品としてカタチにできたら、素晴らしいことかもしれません。
ですが私の目指すところはそこではなく、私の撮りたいのはただの美しい写真なんです。
私の写真で「被災地復興の役に立ちたい」などということは考えていません。
ほんとに私は好きで写真を撮っているだけの人間であり、自分の写真には正直でいたいと思っています。

写真を撮ることは表現の自由であり、どこで何を撮っても、誰もそれを責めることはできません。
(法律や倫理観の範囲内でですが・・・) 
しかし実際に2年半前に多くの命が失われたこの場所で、そのことを無視して自分の写真を追求する行動に出ることは、やはり自分で許せなかったんです。


被災地を後にしながら、そんな写真と自分との関わりを考えていました。
未曾有の大震災のあった場所に触れたにもかかわらず、そんなことしか考えられなかった私をどうかお許し下さい。



この場をお借りしまして、改めまして震災で命を落とされた方々のご冥福をお祈りいたします。
また、一日も早い復興と、原発事故の収束を願っております。



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ところで、この旅の途中で見かけたポスターで、東京所沢航空発祥記念館にて「零戦」の展示が行われていることを知りました。
世界中でたった一機だけの飛行可能な「零戦」。
日本人ならまずその名を知らない人はいないぐらい有名な、あの「ゼロ戦」であります。

この今でも飛行可能な機体は、本来はアメリカで保存されているのですが、期間限定で日本に里帰りしているんです。
特に絶対に見たいと思ったわけではないのですが、せっかくの機会です。
福島へ行った帰りに、たまたま東京で一日過ごす余裕があったため、わりと気軽な気持ちでこの零戦を見にいくことにしました。

そして、所沢航空発祥記念館の内部。これがその零戦です!
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初めて見た、実際に飛べる零戦。
私の印象としては、各パーツがとても繊細で、ところによっては紙のような薄っぺらい質感にも見えました。
そんな意味では、よくこんなので何百キロものスピードに耐えられるなぁ、よくこれで戦ったよなぁ、とちょっと怖くなりました。
でも、これが登場当時は世界最高の戦闘機だったんですね。
この機体は飛べる状態を維持するために、いろいろとパーツが作り直されているそうです。
戦時中に運用されていた零戦そのままではないですが、でもできるだけ見た目は忠実に再現されているそうです。



その零戦の展示と同時に、企画展「人間・堀越二郎」という展示も行われていたので、これまたじっくりと見てきました。
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この展示や上映されていた映画を見て、私は零戦を設計した堀越二郎さんという人物にとても興味を持ちました。
当時、大変高性能だった零戦を作った偉大な設計家でありながら、彼は「機能美」ということをよく語っていました。
高性能な道具はかならず美しいだなんて、一見、非論理的で設計者っぽくないような発言に聞こえます。
でも、この人物にして、この発言をしておられることがとても爽快で、それだけで私は堀越二郎さんのことを好きになりました。

堀越さんは「美しい」飛行機を作ろとしました。
また、私も写真で「美しい」を撮りたいのです。
そんな意味でも、親近感を覚えないではいられません。
(偉大な堀越さんと私などを比べて、本当に申し訳ないのですが・・・)
写真において「機能美」ということを考えると、差し詰め、「役に立つ」写真は「美しい」、というかんじでしょうか。
「役に立つ写真」というと、「人の心を動かす」、「感動させる」、「説得力がある」、「証拠となる」、「様子がよく分かる」、そんな写真でありましょう。
これらの意味を踏まえると、さらにより美しい写真を撮りたいと思えるのです。


話を戻しましょう。
この展示物のなかに、堀越さんが零戦の設計を始める時に描いたというスケッチがありました。
きれいな放物線で描かれた翼の形状です。

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零戦の設計を始める前、海軍から求められていた戦闘機の必要条件が高すぎて、堀越さんは途方に暮れたそうなんです。
そこで、堀越さんが「美しい」と思う曲線を翼の形にしたらいいなぁと、ただ描いただけのものらしいですが、これがそのまま実際の零戦の翼の形状に採用されているそうなんです。
飛行機の翼の設計などというものは、理論に基づいたり実験などの結果から形作られてゆくものだとばかり思っていましたが、このような人間の感覚である「美しい」ということを発端にして設計されたなんて、なんておもしろいんでしょう!


そうやって堀越さんが設計した零戦。
改めてその実物をじっくりと見て、私は納得しました・・・。
厳しい条件のなかで、贅肉を削ぎ落とし、機能が絞られて形作られた、ほんとに美しい機体です。
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これが戦争の道具ではなく、ただの道楽の飛行機だったらどんなにいいでしょうか。
しかし、それだけの目的で作られた飛行機が、こんなに美しい飛行機とはならないでしょう。

大戦中の軍用機にも現代の軍用機にも、美しい機体が多いです。
機能が磨かれて美しいものへと、なるべくしてなるのですね。
「機能美」の存在する兵器には、必ずそういう裏側があるのです。

日本の航空史の中でも特別に抜きん出た傑作機である零戦。
多くの人がこの零戦を美しいと思っているでしょう。



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所沢での展示を見て、私は堀越二郎さんという人にとても興味が湧いてきました。
奇しくもこの夏は、彼の半生を描いた「風立ちぬ」という映画が公開中ではありませんか。
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この映画が公開されていたことは知っていましたし、ちょっと興味もありました。
でも、劇場で観ようとまでは思っていませんでした。

私が十代~二十代の頃に観た宮崎駿さんの作品はどれも大好きなんです!
「ルパン三世カリオストロの城」から「紅の豚」までの作品は、劇場で観た作品もいくつかありますし、その後もテレビで放映されるたびに欠かさず観て、録画したビデオテープも擦り切れるほど観ています。

しかし、「もののけ姫」以降の作品は、私の心にはあまり響いてきていません。
一度観ただけか、全く観ていない作品もあります。
悪い作品ではないと思っていますが、年をとったせいか、自分にはあまり良さがわからなくなってしまったと思っています。
「風立ちぬ」は最近の宮崎さんの映画とは方向性が違うようで、少し興味はあったものの、やはり劇場へ足が向くことはありませんでした。

それにここ数年、劇場・テレビ・レンタルにかかわらず、ほとんど私は映画を観ていないのです。
何か明確な動機がある作品だけしか観ないようになってしまっています。

でも、所沢航空発祥記念館で堀越二郎さんという人物を知り、とても愛着を感じたこの夏。
そのタイミングで、堀越さんを描いた映画が公開されているのですから、これはもう一刻も早く劇場へ行くしかありません!

岡山に帰ってきてから数日後、行きなれない劇場へ足を運び、一人「風立ちぬ」を鑑賞しました。
公開からすでに一ヶ月以上過ぎていました・・・。


そして、見終わったあとの第一印象は・・・
「よくわからない」です。
「何だったんだろう、この映画は・・・」といった感じです。

作画は素晴らしいし、人や機械の動きなど、さすがは宮崎さんです。
描かれている日本の風景も、ほんとにイイ!
特に海、水田、小川、涙、血、オイルといった「液体」の表現がすごいと思いました。
観ていて清々しい気分になったり、ドキッとしたり。
ですがそれは映像の見た目のことでして、ストーリーや話のまとめ方などは、手放しに「よかった」とは言えませんでした。

この映画が私にとって良作であったかどうかは、今はまだわかりません。
でも、劇場で見たあの日から、ことあるごとに脳裏に蘇ってくるシーンの数々。
だけどひとつ言えるのは、私が生涯忘れ得ぬ映画になったことは間違いありません。
今後もっと時間を掛けて噛み砕いて消化して、やがて「いい映画だった」と言えるようになればいいなと思っています。

宮崎監督は今作をもって、長編アニメから引退されるそうですね。
多くの名作アニメの数々を生み出してきた彼が最後に表現しようとしたことは、私にもなんとなく分かる気がします。
宮崎さんの人生が投影されているんですね。
それを素直に表現してくださったんですね。

映画の中で、堀越さんが何度も「美しい」と言います。
美しい飛行機は性能がいいんです。
それを追求し続けて生きた人物なんですね。
そこがすごくよく描かれていて、所沢で親しみを持った堀越さんという人物を、(物語の中ですが)よりよく知ることができました。

この作品には戦闘の描写はぜんぜん出てこないのですが、堀越さんが戦争のことを全く考えていない人物というわけではなく、ものすごく心を痛めながら仕事をしているんです。
美しく高性能な飛行機は優秀な兵器であります。
ものづくりと戦争が表裏一体となっていて、彼の作った美しい飛行機は戦争に行く。
そんな苦しみと闘って、一生懸命にまっすぐに、実直に、生きていたんですね。

そして、宮崎さんの作るアニメもほんとうに美しいです。
宮崎さんの人生もまた同じだったんですね。

そして私の人生もそんなふにあれたらいいなと思いました。


映画のラストシーン近くに、特に気に入ったシーンがあります。
たくさんの軍用機の残骸が落ちているところが描かれていて、そこを堀越さんが歩いて草原へと向かっていく場面です。
もちろん廃飛行機群だからというのが主な理由で、半分土に埋もれている機体など、ほんとにすばらしい描写です。

もうひとつの理由として、軍用機が使われていない状態というのは、平和な状態を指しているということ。
戦争が終わったという象徴として、土に還る軍用機が描かれているのですから、だから素敵なんです。
軍用機が活躍している時代は、戦争を行なっている辛い時代なんです。

堀越さんが歩いてゆく先にある草原は、夢の中なのか、死後の世界なのか、よくわからない場所でした。
そんなどっちつかずの場所、つまり「境界」であります。
 生と死の間
 夢と現実
 人間世界と自然界
 戦争と平和の間
そんな「境界」には、素敵な魅力が詰まっているのです。
私が被災地で見た廃車から感じとったのと同じ「美しさ」が、この映画でも表現されていました。


また、この映画のテーマとされている「生きねば」ということが、私にはとてもよく伝わってきました。
最後の草原でのシーンに、それがよく表れていると感じました。

彼の作った飛行機たちの多くは、戦場へ行き戻って来なかった。
彼の奥さんは病気で帰らぬ人となり、生き残った堀越さんは「生きて」と言われる。
生き残った者にとっては、これからも人生が続いています。
それから先には辛いこともあるだろうけれど、それでも人は生きてゆかねばならなくて、堀越さんにとってそれは、さらに優秀で「美しい」飛行機を作り続けるということ。
美しいものを作りだすことも、美しいものを鑑賞することも、生きている人間にしかできないことであります。


このことを自分に照らし合わせると、日々の生活の中で何気ないモノを見て「美しい」と感じることが多々あります。
例えば毎日繰り返される日の入りですが、晴れている日の「夕日」はいつ見ても美しいですね。
それに夕日に照らされているモノや人も美しいです。

カタチの話をすると、映画の中の堀越さんはサバの骨を美しいと言っていましたね。
それに対して私は、人の「土踏まず」を美しいと思っています。
変でしょうかねぇ? 同意していただける方は少ないかもしれませんが・・・。
“足の裏フェチ”とかそういう話ではないんです。
土踏まずは、歩行時に着地する衝撃を吸収して次の一歩を踏み出すバネの役目という機能が凝縮されている部位であります。
これぞ「機能美」と言えるものでありましょう。
私も自分の土踏まずのカーブを手で触るのが、けっこう好きであります。
やっぱ変かも(笑)

そして、私はもいつも美しい写真を撮ろうとしています。
「美しい」を感じるのも作るのも、人間として生きている時だけ。
私にとっての写真とは、もはやとても大きな存在で、人生の根幹部分と言ってもいいかもしれません。
「生きねば」とは、いろいろひっくるめて、人生の中でやらねばならないことをを表しているのではないでしょうか。

「風立ちぬ」を見てからは、そんなことを自分に投影して考えてしまいます。
私はこの映画を、自分の中で噛み砕いて消化しようとしています。
そして今後は私の血や肉になり得てゆくでしょう。
私にとって「風立ちぬ」とは、そんな映画でした。

そして、宮崎さん、ほんとうにお疲れ様でした。
これからも、いつまでも、作りたいものを作っていてください。



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「風立ちぬ」を観たあとから、この映画が私にもたらした影響について考えていました。
自分の中に多く感じ入るところがあった映画なのは間違いないのですが、先述の通り抽象的な話であります。
それを何かカタチにしようとすると、なかなか明快な答えが出ず、しばらくの間は悶々と過ごしていました。
そしてあるとき、茨城・福島で私が写した写真を整理していたとき、ピンとくるものを感じました。
ひとまずある回答に行き着いたのです・・・。


その答えを先に言います。


それは「風車」です。


え!?何のこと???
そう思われて当然です。


これだけ聞いても何のことかはわからないと思いますので、順を追って説明していきます。




話は先日の茨城方面への旅へと戻ります。

それは、茨城県の太平洋岸にある神栖市というところの工業地帯を走っていた時のことです。
道沿いの空き地に、何やらブルーシートで包まれた大きな物体が置かれていました。


え!?何!?
でも、なんだか妙にかっこよくて、美しいカーブを描いていますよ!!
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なにかのパーツのようですが、なぜだかとても気になります!
新幹線の先頭の形状にも似ていますね~
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そしてよく見ると、近くにはまた別のパーツが・・・。
あ、もしやこれは!
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そうです、これは風力発電の風車のパーツです。
風車の本体と、羽根の根本の回転する部分ですね。
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そしてさらにもう少し走ったところに、これも置いてありました。
羽根です!!
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うわぁ、でかい!!
そしてなんだかかっこいい! !
超圧巻です!!
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数えてみると全部で39枚ありました。風車13基ぶんですね。
使用感がありますから、どこかで使われていたものが、何かの理由で降ろされたんでしょうね。
それはともかく、なんでしょう、この見事な光景は!ti1257.jpg
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見れば見るほど、この羽根はとても美しい形をしています。

根本の取り付け部分は円形で、先端に行くほど直線的な断面に変わっていきます。
その曲線が見事なほどに美しい!
なんだか女性的ですね~。
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並んでいるところを横から見ると、まるで新幹線の車両基地のようです。
または、大規模なアート作品のようでもあります。
ほんとうにきれいな羽根だわ~。
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後ろ側の取り付け部分は、ロケットが並んでいるようにも見え、航空機を連想させます。
こっち側は男性的な雰囲気で、これまたかっこいい!!
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冷静に見ると、こんなにでかい羽根が、こんなに短いボルトだけで連結されているとすると、ちょっとスゴくないですか!!




思いもよらぬ偶然の出会いにとても興奮し写真を撮りまくってしまいました。
しかし私が興奮した理由は、ここ茨城県には、まさに風車を撮るという目的があって訪れていたからなんです。
(だから、こんなパーツ状態の風車まで見られて、すごくラッキーでした)




つまり、こんな「風車のある景色」が見たかったんです!
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ここ茨城県の太平洋岸には、数キロにわたって何本もの風車が林立しており、前々からひと目見たいと思っていました。
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けど、ずっと前から気になる存在だった風車のある風景。
なぜ私が風車に惹かれるのかというと、理由は大きく2つあります。

私の住む岡山県には、常時強い風が吹いているような場所があまりないようで、このような大きな風車は見られません。
風車を見たいと思ったら、遠くまで行かないといけないとうことになります。
よって、私にとっての風車の光景は、「旅」を思わせる風景であります。
「遠くまで来たなぁ」という感慨の思いを持って見る風景なのです。

それと、未来を感じる風景でもあるのです。
それはそのままの意味で、原子力や化石燃料に頼らずに、自然に存在するものをうまく利用して電気を作る仕組みに、将来の発電のありかたを思い描くことができるからです。

風車とその近辺の風景が融合した風景は、なんとも爽やかで、美しく感じます。
たとえば遠景の景色を撮ろうとすると、画面の中によく建物や送電線の鉄塔などが写りこんでしまい、構図選びで苦労させられることがあります。
しかし、風車はそれらとは違い、写真の中で邪魔にはなりません。
風車が写っていることで、なぜか現実感が希薄になり、異世界のように見えたりもする写真になるから不思議なものです。

この茨城の風車を見ることができ、とても満足な時間を過ごせました。
いろいろとハードルはあるかもしれませんが、今後はもっと自然エネルギーを利用した発電が多く行われることを期待しています。
それから、こんな美しい風景にまたこれからも出会いたいものです。



***************************************



ここまで、この夏の私のことを、順を追って説明してきました。
これらを簡単にまとめてみたいと思います。

① まずは、被災地で見た廃車は美しい光景でした。
しかしそれは大震災の後にできた悲しい光景でもあり、未解決の原発問題と隣合わせの風景です。

② それから、零戦も美しい機体でした。
ですがその背後には戦争があり、大量に生産された零戦は戦争に使われました。

③ そんな美しい飛行機を作った人が、まっすぐに生きたさまを描いていた映画「風立ちぬ」。
そこからいろいろなことを感じ取りました。

④ そこからどういうわけか、私の心に浮かんできた風力発電の風車。
美しい風車の風景に惹かれて写真を撮る私。


いま私の中で、これらが一本の線で繋がっています。

「戦争」も「原発」も無い方がいいんです。
でも美しいものはあるべきなんです。
これらの二つのことは両立できないものでしょうか?

いえ、きっとできるでしょう。

その答えのひとつが、この風力発電の風車ではないでしょうか。

クリーンな発電システムによって得られる安心感。
効率よく風を受けるべくデザインされた美しい風車。
風車とは、風景としての「美しさ」と、機械としての「機能美」、そして「クリーン」さを兼ね備えたものであると言えます。

これらの条件を考えた上で、風車を好きになったのではありませんが、漠然と好きだった風車に改めて意味を見出すことになりました。
こんなふうな着地点を見るとは、自分自身今まで考えたことがありませんでした。

したがって私はこれからも風車のある風景を追いかけて行きたいと思っています。
撮りたいと思うことは自分にとって何かの意味があるからなのです。
写真とは不思議なものでありまして、自分の内面を投影するものなんですね。


そんなことを思いながら過ごした夏が過ぎ去っていくのが、なんだかちょっと切ない気がしています。
それを紛らわすためにまた「風立ちぬ」を観に行こうと思っています。
同じ映画を二度も見に行くのも異例中の異例です。


映画「風立ちぬ」。
記事に書くうちに何度も反芻して思い返していると、いつのまにか「好き」だと言える存在になってることに気付きました。


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コメント 2

浅葱

暫く記事がアップされなかった理由が良く解りました。
これだけの時間が必要だったんですね。
福島で美しいと思いながらも写真が撮れなかったのは
イチマンネットさんの限界ではなく
誠実さの表れだと私は思います。
by 浅葱 (2013-09-21 07:49) 

ichimannet

浅葱 さん
ありがとうございます!少し気が楽になりました。
でも、そんなに誠実な人間でもないので、恐縮であります・・・。
記事に時間がかかったのは、私が筆無精でぐうたらだからです。
ブログなのでもうちょっと短い間隔で記事を書くべきだとは思っていますが、なかなか思うように行っておらず、今後の課題ですね。
by ichimannet (2013-09-23 00:30) 

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